バナナVS石ころの何世代にもわたる戦い
女媧と伏義(中国の神様)
こんにちはふうてんです。
先日、古代オリエント博物館というところで定期開催されているナイト講座に先日行ってきました。
今回のテーマは『比較神話学からみた日本神話』。
どんな国にも、自分たちのルーツを語る物語、民話や神話があります。
そしてどこの国の神話にもよく出てくるのが創造神です。
で、それを作る時にどうやって人を作ったかという説はさまざまあって、、、
粘土で人形にされて命を吹き与えられた説(古代シュメールや旧約聖書)とか、
話相手が欲しいからとうもろこしで作った(マヤ文明)とか
いろいろ紹介してもらったんですがその中でもちょっと面白かったのが
インドネシアのセラム島ウェマーレ族に伝わる神話。
今の世の中になるはるか昔、
あるときバナナと石ころが喧嘩を始め、何世代にも渡って戦っていました。
そしてとうとう石ころが崖から落ちてバナナが勝利を納めました。
そのため、バナナのような人間が誕生しました。
石のくせに崖から落ちるってオイオイって感じですよね。
バナナは腐って亡くなる存在、石は永遠に形を留める存在を象徴しており、人はこの時に死んで再生を繰り返すことを選んだというのがこの神話の大きな特徴だそうです。
この話は「バナナタイプの死の起源神話」と呼ばれ、「金枝篇」という大著を書き上げた民俗学者のJ.G.フレイザーさんが命名した学説になっています。
日本神話の中で人間らしいものとして表現されているのは「人草」「青人草」というもので人を植物に例えたもので、イザナミの追っ手からイザナギが逃げるシーンに出てきます。また、日本神話にはバナナと石の対決のような、人の始まりを語る部分がありません。
ちなみに邇邇芸命(ニニギノミコト)の結婚というくだりでは、
ニニギノミコトという神様がコノハナノサクヤヒメという大変美しいお花のお姫様に出会い、お嫁にもらいたいとお願いしたところ父のオオヤマツミはもう一人の娘、イワナガヒメも一緒にどうぞと差し出したが、イワナガヒメは器量が悪かったので返したというお話があります。
イワナガヒメは岩という響きからもわかる通り永遠の命を司るので一緒に娶れば永遠の命がもらえたのですが、これを断ったためその後に生まれる子は命に限りのある存在となったとされたようです。コノハナノサクヤヒメがのちに産む3人の子供の一人が今の天皇に通づるとされています。
なので、ニニギノミコトとコノハナノサクヤヒメにはお墓があります。↓
しかし、こんな大昔から神様も面食いなんですね、、、。
この日は普段、慣れない名前がたくさん出てきて頭がパンパンになりました。