フーテンまちこ氏のブログ〜Machiko known as futen〜

フーテンまちこ氏の日常と非日常と半径5メートル以内の人間模様

色があっても色のない絵。色がなくても色のある絵。

f:id:fuutendesu:20171117145509p:plain江山縦覧図巻 こうざんじゅうらんずかん
王キ(おうき)清時代/康煕23年 東京国立博物館


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  ↑倣元四大家山水図 (ほうげんしたいかさんすいず)
   王原祁 おうげんき 清・17世紀 四幅 京都国立博物館)


こんにちは!フーテンことまちこ氏です。

今日は泉ガーデンの近くでブルガリのファミリーセールで人間観察をしたあと、
近くの泉屋博古館分館に立ち寄りました。
中国名画の展覧会で全然詳しくないけどあまり立ち寄らないエリアなのでせっかくなので行ってみたのですが、、、、

わたしがこの手の南画、山水画の展示にきていっつも思うこと、、、
本題に入る前にどうしても言っておきたい。

絵のタイトルが長すぎて名前が全然覚えられない!!!

上にあげた最初の絵は

①江山縦覧図巻 こうざんじゅうらんずかん
次は
②倣元四大家山水図 ほうげんしたいかさんすいず


ちなみにいただいてきた資料の英訳はこんな感じ↓
英訳のが超シンプル。
Landcapes、、、これはこれでいいのか疑問は残るけども、、汗

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一番最初の画像で紹介した作品は今回のこの展示にはなかったものです。
本当は上の表にあるような王時敏という人の
江山蕭寺図巻こうざんしゅうじずかん 王時敏 おうじびん 明・崇禎8年 一巻 国(文化庁保管)

てのをこちらに紹介したかったのですが写真NGで検索しても中途半端にカットされたものしかないのでやめました。

検索するとこちらにのっているので詳細はどうぞ。


さて本題。
「色があっても色のない絵。色がなくても色のある絵。」
「空白が余白になる絵。空白が空間になる絵。」

あまり今回の展示ではフューチャーされてませんでしたが、わたしは展示室2室めのこの王さんシリーズが気に入ったのです。王時敏と王原きはおじいちゃんと孫の関係です。

水墨画は墨を使用して描くのでモノトーンですよね。
モノトーンなのでいわゆる色はないので、墨の濃淡や筆の使い方などで表現をします。
で、わたしがこういった水墨画を鑑賞していてスゴイと思う絵というのはモノトーンなのに色がわかる絵なのです。

山水図だったら山の緑や池の水、天候や湿度を感じられるような絵です。
つまり生きてる絵。

ちなみに合同展覧会などに行って彩色
していても死んでるなーと思う絵もたくさんあります。完全に動かないモノになってしまっている作品は見ていてドキドキハラハラしな
い。

そして空白が余白になる絵というのも同様です。
2枚めの王さんの孫の方の作品ですが、これは四幅といって4つで1つの作品。
その最後のものですが、、画像だと雰囲気、全然出てないですね。残念。
ぜひ本物を展示室で見てください。

山水画でいうと、空白が余白になっている絵というのはつまり、ただ筆を入れていない場所のこと。あえてそうしていてもいなくても、結局は描いている人の力量ですが、

空白が空間になっている絵というのは空いている部分も景色になっているということ。
山水画なんだから当たり前じゃん!って思う人もたくさんいるとは思いますが、
同じような構図で描いても景色になっている作品とそうでない作品ってすっごい違います。

力のある作品だと、冬の景色を寒いなーって感じたり、新緑だとあ、爽やかな風吹いてるな〜って本当に感じますよ。


以上、全てわたしの勝手な判断基準です。
今回ブログに書いて改めて思ったけど、やっぱり画像って情報量、相当低い。
人が目で見ていることと機械の目を通した画像って全然違いますね。
AIがどうやって世界を見ているのか、世界を知覚できるのか?とか気になります。

ひとまず、行ってきてすぐにアウトプット完了。
このサイクルをうまく回していきたい。


ふーてんのまちこ氏